教会紹介
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年間主題 『他者と共にあろうとすることを目指して』

主題聖句 「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それは、キリスト・イエスにも見られるものです」 (フィリピの信徒への手紙2章4-5節)

                
  ご挨拶
 

 はじめまして。当教会の牧師 森下真裕美(もりしたまゆみ)と申します。

 今、このホームページを見ていてくださっているのは、この教会やキリスト教に、何かの関心や関わりがある方、あるいは、訪れる教会や礼拝を探しておられる方ではないかと思います。もしかしたら、特に目的や理由はなかったけれど、何かのきっかけでたまたまたどり着いた方もおられるかもしれません。

 けれど、どんな関わりやきっかけも、きっとそれが皆さん一人一人に向けられた“神さまからの招き”であるのだと思います。そのような招きを受けた皆さんお一人お一人を、教会は迎える場所でありたいと願っています。

日曜日には、教会では週ごとに礼拝がささげられています。そこには生まれて間もない子どもから齢を重ねた方々まで、本当に様々な方たちが集まって、神さまからの言葉を聴き、祈りをささげ、神さまを讃美して喜び歌っています。そしてまたそこから、神さまがこの一週間も一緒に歩んでくださることを信じ直して、送り出されていくのです。それは決して“信徒たち”だけのものではありません。訪れるすべての方と共に行うよう、開かれているものなのです。

ですから、どうぞ教会へ、礼拝へおいでください。ふさわしくない人など、誰もいないのです。

一方的な“神さまからの招き”が、その招きから始まる“皆さんと神さまとの出会い”にまで至ることを、心から願ってお待ちしています。

牧師 森下 真裕美




                
 教会の歴史
 
 札幌琴似教会は安孫孝次(あびこたかつぐ)、八重夫妻の営む家庭を中心としたいわば家の教会として出発した。1930年安孫子孝次が琴似の北海道農事試験場の時、その官舎で札幌北一条教会(小野村林蔵牧師)の家庭集会(聖書研究会)が定期的に行われるようになり、やがてこの集まりが教会へと発展していったのである。家中心の伝道活動が独立教会へと結実したのは北海道ではおそらく第二次大戦後では初めてのことであり、この意味において、家の教会の典型をわが札幌琴似教会に見ることができる。
 
 琴似教会の起こりは、1930年(昭和5年)安孫子孝次が北海道農事試験場長の時、その官舎で札幌北一条教会小野村林蔵牧師の指導の下に開かれた聖書研究に溯る。

 この集会を開くべく孝次・八重夫妻の伝道の熱意を促したのは、当時北海道帝国大学(※現北海道大学)予科生だった長男孝一の熱心な提案だったという。農事試験場とその官舎は、国鉄琴似駅の北数百メートルのところ鉄道線路の東北に広々と建てられていて、場長官舎周辺に住む官舎の信者、試験場の実習生、練習生がこの集会に出席した。会は毎月第2・第4木曜日に開かれ、小野村牧師は婦人伝道師の住吉ます(のちに吉沢の姓になる)を、後には婦人伝道師五十嵐とくを伴って来られた。

 1940年(昭和15年)春、安孫子氏が農事試験場を去り、その翌年末には第二次大戦が勃発したのでこの集会は一時中止せざるを得なくなった。

 しかし終戦後、1946年(昭和21年)2月から琴似町八軒の安孫子宅の応接室を会場とし、北一条教会の伝道所として再び聖書研究会が開かれた。この時は専ら副牧師上泉浩が五十嵐伝道師と共に毎週火曜日午後7時から伝道に当たり、また南義子牧師(元桑園教会牧師)も度々応援した。当時日本はアメリカの占領下にあり、まさにアメリカブームの時であったためか、一般の人々の中にもキリスト教に心を寄せる者が多く、毎回の集会出席は30〜40名に達した。

 その後1948年(昭和23年)の夏、米人宣教師チャップマン(G.K.Chapman)が開拓伝道を目的として来札し、三好新蔵牧師(のち1964年9月より1975年11月まで当教会牧師を務めた)と共に伝道することになり、琴似の伝道はこの両氏に引き継がれた。集会は毎週火曜日午後7時より専ら三好牧師の指導の下に開かれた。
 

日曜学校は1948年(昭和23年)4月から土曜日午後に池田多郎治・テル夫妻の家庭で開かれていた。この土曜学校は60〜70名の生徒が集まり,座敷の床が抜けるほど盛況であった。このように土曜学校が活況を呈したことは,先の安孫子宅における定期集会に集まって来る人達の教会設立の熱意を一層盛り上げたのであった。

 その後、安孫子家の茶の間と台所合わせて10坪の部屋を提供しようとの申し出が安孫子氏からあり、それならばこの二部屋を改造して仮会堂にしようと衆議がまとまった。この二部屋は安孫子氏の邸宅の中心をなす部分で、先代倫彦老(ともひこ)が琴似屯田兵として1987年(明治20年)に建てたものである。
 仮会堂造りの費用を得るためバザーを計画した。安孫子宅で開かれた北星の同窓会に出席した米人教師エヴァンスならびにシュミット両名から、提供の申出があり、多量の衣料品・靴・また当時入手困難だった結核の特効薬ストレプトマイシンなどの寄贈を受けた。これらの物資と伝道会に出ていた婦人達が売りさばいて約12万円の収入を得た。この他、伝道会の席上献金や日曜学校父兄の献金(日曜学校は既に1948年から池田太郎治宅で毎土曜日開かれていた)等が約8千円に達していたので、これらを資金として前述の二部屋(10坪)の改造を行ったのである。屯田時代の建物で既に60年余りの歳月を経たこれらの部屋は、炉で木を燃した名残を止め、天井も壁も真っ黒に煤けており、その清掃には青年男女、日曜学校教師及びその中等科生徒達が、顔もシャツも真っ黒にして労働奉仕したのであった。

 1949年(昭和24年)7月24日午後2時から、三好牧師司式の下に献堂式を挙行した。信者・求道者・来賓合わせて72名、まことに感謝と感激をもって式を終えたのである。この献堂式を挙げた7月24日が琴似教会(この時点では未だ正式な名称は決まっていなかった)の創立記念日と定められた。
  

これ以降の歴史については、主な内容のみ記載します。

 

1950年度創立2年目に入ると、開拓伝道に従事していた三好牧師が多忙をきわめる状態になり、独立教会として進むためにも専任牧師招聘の声が上がるようになる。

細川慶次牧師任職(195171

 1951年には専任牧師として細川慶次(けいじ)牧師を迎えることが決まり、71日に牧師任職式が執り行われた。

細川慶次牧師

日本基督教会入会(195335
 1951年、旧日本基督教会が結束して日本基督教団を離脱し、「日本基督教会」(現在の日本キリスト教会)を創立した。琴似教会は創立まだ2年であったことからすぐに入会することは見合わせていたが、度重なる協議を経て、日本基督教会に入会することとなった。

会堂新築(1953920
 これまでは安孫子孝次・八重夫妻の家屋を教会として使っていたが、献金やバザーなどにより資金を集め、ついに念願の教会堂を建築することができた。

1953年新築の会堂

琴似教会幼稚園設立(1954412

 地域社会への奉仕を目的として、幼稚園を設立。5歳児、4歳児ともに1クラスずつ計65名の園児と4名の教諭とで始められた。初代の園長には安孫子孝次長老が就任した。

伝道師として高橋恒男教師試補が赴任する。(19583

教会創立10周年記念礼拝(1959726

教会創立時代に活躍した三好新蔵牧師の説教で記念礼拝が行われた。夕礼拝には「原子力時代と人間の救い」と題して三好牧師による特別伝道礼拝が行われた。

教会創立10周年

幼稚園園舎献堂式(196087

定期総会で安孫子孝次長老の園舎建築プランが承認された。安孫子長老は広く教会外からも寄付を募り、資金調達に努めた。幼稚園園舎建築という悲願がこの年、かなえられた。

河田一雄牧師任職(1960925

河田牧師の就職式が小樽シオン教会の近藤治義牧師の司式により行われた。河田牧師は日曜学校長として、幼稚園の副園長として、宗教教育に尽力した。

細川慶次牧師辞任(19643

13年にわたり教会形成に力を尽くした細川牧師が健康上の理由で辞任。琴似教会が戦後生まれて20年を経ずして北海道中会の中堅の教会になり得たことは、神の導きと細川牧師の尽力によるものと言えるであろう。細川牧師は惜しまれながら北海道を去った。

河田一雄牧師辞任(19647

臨時総会において河田牧師の辞表を受理し、三好新蔵牧師の招聘を決議した。河田牧師は近畿中会の招聘を受け、9月に四国香川県の観音寺教会へ赴任した。

三好新蔵牧師就職式(1964920

三好牧師は、操夫人とともに赴任し、この日、就任後最初の説教を行った。午後、小樽シオン教会近藤治義牧師司式により牧師就職式が行われ、幼稚園ホールで歓迎会が催された。

三好新蔵牧師・操夫妻

牧師館新築(19669

1957年春からほぼ十年を経た木造平屋の牧師館の新築が決議され、雪解けとともに工事を開始して9月に竣工した。牧師館は木造モルタル二階建てとなった。

「ことに教会だより」を発行(196812
 「教会便り」の定期発行が始まる。一時途絶えたが、2007年復刊。

教会創立20周年(1969
 記念行事として、特別伝道会が開かれたほか、山の手・八軒・手稲山口で家庭を開放しての伝道集会が開かれた。また、記念事業として会堂の増築が行われた。会堂前面を総二階にし、屋上に鉄製の十字架、正面上部にぶどうの装飾が掲げられた。

特別伝道集会の看板が掲げられた教会

会堂改築工事完了(1969.11.9)

 教会墓地完成(19756.13

手稲平和霊園に教会墓地が完成した。墓石には三好牧師の手による「琴似にあるキリスト教会」というギリシャ文字が、墓石の裏にはヨハネ伝の聖句が刻まれた。

平和霊園の教会墓地

三好新蔵牧師辞任(197511

三好牧師は伝道生活40年を機に牧師を辞任された。後任牧師として遠浅教会斎藤義信牧師を迎えることを決めた。 三好牧師は最終の説教をされた後、奈良県に移られた。

斎藤義信牧師就職式(19751228)  斎藤牧師は遠浅教会より家族とともに琴似に移り、クリスマス礼拝から講壇に立った。1228日の礼拝後、斎藤牧師の就職式が会堂で行われた。
斎藤義信牧師・真理子夫妻

教会創立30周年記念礼拝(197963
 記念事業として「教会30周年史」編纂、発行、3回の特別伝道会が行われた。

教会前のポプラの木は、教会の30年の歩みを象徴するかのように幹も太く大きくなって、天を仰いでいる。しかし、構造や機能の面から新しい建物が必要となってきており、1978年の総会で5年後をめどに会堂を建築すること、また幼稚園の安定した経営のために学校法人化を目指すことが決議された。そのためこのポプラの前での記念写真はこれが最後となった。 

教会創立30周年記念

  会堂新築・感謝会(19821031

新会堂が建てられた。旧会堂では礼拝堂を保育室としても使用していたが、1階が幼稚園、2階が教会となり、環境が整えられた。この年、幼稚園は教会付属から独立して学校法人となる。初代理事長には有馬純長老が就任した。翌秋には新牧師館も完成した。

1982年新築の会堂

献堂式で説教をする斎藤義信牧師

教会創立40周年記念礼拝(1989.7.23

記念礼拝、特別伝道礼拝、記念音楽会、「ことに教会だより」合本の刊行がなされた。また、記念事業の一環として札幌手稲前田伝道所が開設され、のちに北海道中会所属の伝道所となる。

パイプオルガン設置(19972)・教会名称変更

教会員の祈りと献金によって、パイプオルガンが設置された。

日本基督教会は1995年の憲法・規則の改正とともに日本キリスト教会と改称、当教会の名称も日本基督教会札幌琴似教会から日本キリスト教会札幌琴似教会に変更になった。

教会創立50周年記念礼拝(1999718

 一つの家庭から始まった「家の教会」と「超教派の信徒の集まり」という二つの特徴を持った札幌琴似教会は50周年を迎えた。記念事業として、アルバム出版、特別伝道集会、記念祝賀会、記念音楽会を実施。教会員による創立50周年記念座談会を開き、記録冊子を発行した。

斎藤義信牧師辞任(20043 

 斎藤牧師が当教会の牧師の職を辞し、初めての無牧時代を迎える。しかし、中会の牧師、教師の応援を得て、礼拝を守ることができたことはたいへんな感謝であった。

久野真一郎牧師就職式(2006423 

2005年、久野真一郎栃木教会牧師の招聘が決まる。久野牧師の就職式は、加藤正勝滝川教会牧師の司式により行われ、北村一幸小樽シオン教会牧師による勧告があった。久野牧師を迎えるにあたり、新礼拝式が採用された。

久野真一郎牧師・香代子夫妻

ホームページ開設(2007.4

 インターネットによる礼拝のライブ配信も開始。高齢のため礼拝に出席できない教会員などからの申し込みがあった。

教会創立60周年記念事業(20096月〜11月)

記念事業 としてはバザー、特別伝道礼拝、創立記念礼拝、記念講演会と「聖書の世界写真展」、教会員で歌手の平井有と北一条教会オルガニスト山田悦子による「ソプラノとオルガンの夕べ」コンサートが行われた。この年、大石知佳神学生の夏期伝道実習が当教会で実施された。

教会創立60周年記念礼拝 2009.7.19

東日本大震災の復興支援(2011.3.11〜)

東日本大震災被災地募金等、支援を開始。主日礼拝後のうどんの日の売上からも支援金を送ることとした。教会全体修養会では被災地支援昼食会を開き、長期的な支援について話し合った。教会の奉仕の業の実践が問われた年であった。

2012年被災動物パネル展を実施、翌年には震災被災動物のための募金を送った。

丸徹伝道師就職式(2014.5.5

 丸伝道師は、久野真一郎牧師の下、琴似教会で2年半奉仕され、苫小牧教会牧師となった。

とよひら金曜食堂スタート(2017.4

 豊平教会で路上生活者のための食事の支援「とよひら金曜食堂」が始まる。琴似教会ではその趣旨に賛同し、支援を行っている。近年は、留学生、母子家庭、女性の方も利用されており、困窮する方々の増加に心を痛めるが、「神より賜る食物を互いに分かち合うこと」を実践していく思いである。

教会創立70周年(2019

 記念行事として、教会創立時によく行っていたバザーを開催。記念伝道礼拝、70周年記念誌の発行、ソプラノ歌手平井有による記念コンサートが開かれた。これらの行事が感謝をもってなされ、教会員にとって次の時代につなげる大切な1年となった。

70周年記念バザー

教会堂、幼稚園園舎の新築に関する建議案(2020.1.26

 定期総会で教会堂と納骨堂建築及び幼稚園から提案された「幼保連携型認定こども園への移行及び園舎新築」が承認された。住民説明会も2月に実施された。

新型コロナウイルス対応(2020.2〜)

 琴似教会でも対応を余儀なくされ、主日礼拝をZOOM配信とした。聖餐式は中止。クリスマスイブ礼拝もライブ配信とした。毎月の聖餐式が復活したのは2022年。その後も感染症対策に留意しながら礼拝を守り、在宅者のためのライブ配信も続けている。

臨時総会(2020.7.12

教会新会堂と納骨堂、こども園園舎建築に関する建議案説明がなされ、可決された。新会堂の工事は2020.7.20よりスタートした。

新会堂定礎式(2020.11.8

 青空の下、久野真一郎牧師により定礎式が行われ、コンクリートの基礎部分の玄関の位置に聖書と式次第が据えられた。
定礎式

据えられた聖書

新会堂 献堂式(2021.7.18) 

59日新会堂で最初の礼拝がささげられ、創立72周年記念礼拝後、献堂式が行われた。この後もこども園の園舎新築工事のため、幼稚園の仮園舎として提供しながら礼拝を行う。

2021年完成した現会堂

認定こども園琴似教会幼稚園開園(2022.4.1

 長年同じ建物内で歩んできた幼稚園が独立した園舎で認定こども園としての歩みをスタートさせた。教会と幼児教育の業が宣教の働きの両輪であることは今後も変わらない。

新会堂感謝会(2022.4.29

 新型コロナウイルス感染症対策と、仮園舎として提供していたためにできなかった感謝会を1年遅れで行い、北海道中会と近隣の11教会からの出席者に新会堂をお披露目した。

墓地改葬式・納骨式(2022.7.1617

 手稲平和霊園にて改葬式、遺骨を移設、翌日の創立73周年記念礼拝後、納骨式を行った。

臨時小会(2024.9.29)・臨時総会(2024.10.27

 久野真一郎牧師より辞職願が出され、佐呂間教会の森下真裕美牧師の招聘を決める。

久野真一郎牧師夫妻感謝会(2025.3.30

 19年間奉仕されてきた久野真一郎牧師の最後の主日礼拝が行われ、多くの教会員が礼拝を守った。礼拝後には感謝の会が開かれた。久野牧師夫妻は「ここまでほとんど休むことなく礼拝を守れたこと、途切れることなく次を任せられる牧師が招聘されたことこそが感謝である」と述べられ、教会員は別れを惜しみながら感謝をもって夫妻を送り出した。

説教をする久野真一郎牧師

森下真裕美牧師歓迎会・就職式(2025.4.202025.5.6

 46日、森下真裕美牧師の初めての主日礼拝が行われた。56日には、高田昌和小樽シオン教会牧師の司式により牧師就職式が行われ、傳英二森林公園教会牧師より勧告があった。牧師の誓約と教会員の誓約が行われ、牧会のつとめを全うできるよう、ともに歩んでいくことを誓った。
就職式に臨む森真裕美牧師

                          2026.2.7 更新

     〈参考資料〉教会三十年史、創立五十周年記念座談会記録、70周年記念誌、

ことに教会だより合本(19681989)、札幌琴似教会便り(20072024)、

定期総会議事資料、日本キリスト教会50年史、北海道新聞、信徒の友

      

日本キリスト教会札幌琴似教会

〒063−0842 札幌市西区八軒2条西1丁目3−1
牧師 森下真裕美

伝道開始 1930年  教会創立 1949年7月24日